沖縄⑦20.2.25

2/25(火)最終日。
明け方に雨の音がして目がさめる。時計を見ると3時半頃だったためもう一度寝に入り、6時起床。外を確認すると、もう雨は降っていないようだった。朝食は8時からなので、それまで外の散策をすることにする。


外に出ると、傘をさすほどでは無い小雨がパラついていて、地面がしっとり濡れている。海の方へ行くまでに、数匹の猫に会った。ジョン万次郎の浜に行き、崖のけずれた中に波がざぶざぶ打ち寄せているのを見る。サンダルの中に砂が入り込んできたので靴下をぬぐ。この浜は、ジョン万次郎上陸の地という名前が付いている。ジョン万次郎は高知県の漁師で、1841年に数人とともに船で漁に出たところ嵐に襲われ鳥島という無人島に漂着、143日を生き延び、ハワイ船の人たちに奇跡的に救出される。それから彼らはハワイに渡り、好奇心が強かった万次郎は仲間と別れてアメリカに渡る。そこでいろんなことを学んだあと、日本に戻る決意をし、その資金をゴールドラッシュの中で獲得、小船を手に入れて、まずは商船でもって上海へわたり、そこから自分の小船で日本を目指し、沖縄のこの浜に到着したのだそうだ(二月で雪が降る中の航海だったらしい)。
鳥島というと、以前読んだ小説『漂流』にも登場した島だ。アホウドリがたくさんいる島で、他に食べ物はほとんどなく、アホウドリは季節で去ってしまう、ものすごい過酷な島なんだよなあ。アホウドリが季節で去ってしまうことを発見して、それに向けて肉を保存しておく必要があり、それだけでは栄養がかたよるので、浜辺の小さな貝などを食べる努力をし、気力と筋肉をおとさずに生活をしないといけないのだ。万次郎さんは143日で救出されてよかったなと思う(『漂流』にて描かれた実在の人物・長平は、1785年に鳥島に漂着、仲間が皆亡くなりながら一人で生き抜き、1788年と1790年に同じように鳥島へ漂着してきた人たちとともに、1797年に船を作り上げて鳥島をあとにし、八丈島にたどり着く。本当にすごいと思う)。
8時に朝食。もう一人の宿泊客の男性と一緒にいただく。その方は沖縄の浦添市から仕事でここに泊まっているらしい。テレビでは新型コロナ肺炎の感染者があらたに発見された旨の内容。庭には二頭の犬が変わらず眠たそうにしている。ニンジンシリシリにニラが入っているのが美味しかった。


8時半に出発、車で10分とすこしの喜屋武岬へ。サトウキビ畑の中の小道を進む。この岬へは、三年前にともよちゃんと沖縄旅行に来た時にも最終日に訪れたなあと思いだす。喜屋武岬一帯は沖縄戦跡国定公園に指定されている。岬の先からするどい岩が見え、その下に波が打ち寄せて、風が荒く吹いている。薄曇のあいだから日差しがおちて海面が細かく光っている。
それから西の国道を北上、道の駅へ。野菜がたくさん並んでおり、見ているだけで楽しい。車に戻り那覇の繁華街を目指す。
那覇の街は都会だ。途中国際通りを通るコース取りをしてしまい、車がなかなか進まない。右から左から、お店のにぎやかな音楽が流れてくる。10時半頃、ようやっと嘉数有料駐車場へ。ここは目星をつけていた駐車場で、1時間100円と、短時間の利用ならほかの駐車場にくらべて格段に安い。カギは受付のおじいさんに渡して歩いて出発。
賑わうアーケード商店街にはいりぶらぶらとする。第一牧志公設市場に向かうと、建物の老朽化による建て替えの最中で、近くの仮設の建物にお店は移動していた。島らっきょうの漬け物を買いがてらにお店の人に聞くと、完成まであと三年はかかるとのこと。今はまだ建物を取り壊している最中らしい。
お腹が空いたので、すこし早いけどお昼にする。大きな商店街を抜けて道路をわたったところの定食屋さんに『ヘチマ炒め定食』を発見。そういえば、ヘチマ炒めも「ぜひとも食べたいものリスト」に入っていた。食べることにする。


お店に入ると内装の真白いカウンターのみのお店で、食券を購入する仕組み。顔が丸くて花柄のエプロンをしたおじいさんがご飯と汁物担当、顔がくしゃっとして眼光のするどい花柄のシャツを着たおばあさんがおかず担当らしい。食券をおばあさんに手渡すと、ものすごい厳しいまなざしでその食券を見、冷蔵庫に向かいヘチマを取り出し、皮を剥き、炒め、おじいさんはそれに合わせてご飯や汁物を用意する。その動作が二人とも同じくらいゆっくり。
そうして完成したヘチマ炒め定食はめちゃくちゃに美味しかった。ヘチマは柔らかくも美味しい歯ごたえがのこり、味噌味(?)がやさしく、ヘチマのかすかな青くささも美味しい。美味しいなー!
自分のあとに来店したおじいさんのソーキそばも完成。厳しい顔をしたおばあさんが、おじいさんの横に来てものすごい小さな声で「そばは酢をかけると美味しい」と酢をカタンと置く。おじいさんは素直に酢を入れて「ウンウン」と食べている。しばらくして、店のおじいさんもおじいさんに「そばには酢を入れると美味しいよ」と言いに行って、「も〜う入れたよ〜」とおじいさん。
満足して店を出、さらにぶらぶら。牧志公設市場の目の前の菓子屋さん『末廣』に入ってみる。ジャーマンという聞きなれない名前のケーキ。お店の人に聞いてみると、上はココナッツ、下はチョコ味のケーキで、とても美味しいですよとのこと。そのジャーマンとコーヒーを注文。ジャーマンは、上のココナッツ部が甘すぎずしっとりとして美味しい。ほかのお菓子も美味しかろうなと、ちんすこうを買ってみる(これはブラジルコーヒーへのお土産とする)。


12時半過ぎになったので駐車場へ。飛行機は3時10分発で、空港へはレンタカー屋さんから送ってもらうことが出来る。飛行機の1時間半前に店に来てもらえたらよいですよーとレンタカー屋さんには言われているので、1時40分にレンタカー屋到着を目指せばよい。ここからレンタカー屋へは10分ほどで到着するのだけど、その前にガソリンを満タンにする必要があるのと、飛行機のチェックインがなんらかの理由でスムーズにいかなかったらどうしよう、などと、心配性が心配をしはじめ、早々に向かうことにしたのだ。
ガソリンを入れ、レンタカー屋さんに1時ころ到着、1時半には空港に着き、チェックイン、お土産屋さんをぶらつき、荷物の保安検査もさくさく通り、搭乗ゲート前には14時に到着。40分くらい余裕がある。たっぷりあり過ぎるなー。テレビでは筋肉体操と、レミさんの料理をやっていて、暖かな日差しに眠たくなる。
14時45分に搭乗の案内がはじまる。そのアナウンスを聞き、手元のチケットを見て、自分が行きと同じく非常口席にあたっていることを知る。再びの緊張感。もう、いま最高に眠いので、ちゃんと非常扉の操作が出来るか不安ですよーという気持ちになる。搭乗をし、荷物はすべて上の棚の中へ(非常口の席の人は、前の座席の下へ荷物を入れるということができない。壊れ物が壊れないように祈るばかりである)。そういえばこの非常口席は他の席にくらべて前の座席との間隔が広くとられているので、身体の大きなひとにとってはよいかもしれないですね。
15:20頃離陸。ウスイさんという方が機長。宜しく頼みますウスイさん。
17:20頃無事名古屋に着陸、17:44発の電車で金山、バスに乗って帰宅。



《自分用 二月の沖縄メモ》
・天気は初日以外ずっとよかったけど、例年は曇りが多い時期らしい。とてもラッキーだった。
・服装は長袖ブラウスでよし。薄い上着があってもよいかもだけど、初日の夜以外は羽織らなかった。足元はサンダル+靴下。
・日よけの帽子や日焼け止めがあるとよい。
・サトウキビが旬。
・レンタカー代は保険込13000円(クーポンで2000円安に)、ガソリン代は4300円ほどだった。
・国際通りは車で走らないように。また、夕方の58号線、那覇方面も混雑する。
・荷物は行きが4kg弱、帰りが9kg強になりジェットスターの7kg制限をオーバーしたため、手荷物の重量オプションを当日泣く泣く追加した(四千円した) 。予約時にしといた方が割安。