沖縄①20.2.19

2/19(水) 楽しみでか何だかソワソワして寝付かれないまま6時過ぎに起床。いつも通りに卵を茹でて、コーヒーをいれて、バナナを食べる。旅行に行くときは、だいたい早起きをして早く出て現地に向かうのが常なんだけど、今回とった飛行機は11:50発ととてもゆっくりな時間だ。家を出るのは10時近くでよい。時間を持て余して、音楽の練習をしたり、部屋を掃いたり、植物に水をやったりしてソワソワ過ごし、ソワソワついでに9時に家を出る。
今日の名古屋は 最高気温11℃/最低気温1度。これから向かう沖縄は 19℃/13℃。最終日にはもっと暖かく、25℃/18℃ になるらしい。
バスに乗って金山駅、名鉄電車でセントレアへ。長い通路をぐんぐん歩き、第二ターミナル。ジェットスターのチェックイン機にて、印刷してきたバーコードを読み取り、航空券を発行。まだ時間があるので、第二ターミナル隣接のフライトオブドリームとかいう三階建ての施設に向かい、並んでいるお店をフムフムと流し見(この施設の中にはボーイングの飛行機が展示されていて、シアトルをイメージした施設だとかなんとか)、電光掲示板を見ると、中国行きの飛行機は欠航が目立つ。ターミナルへ戻り荷物検査のところを通過、搭乗ゲートへ。荷物検査を通過した先にはこじんまりとした売店と珈琲屋があるだけで、とても質素なものだ(同じ第二ターミナルでも、国際線の方には色々とお店があった)。搭乗までの時間を、飛行機まわりで働く車などを見てぼんやりと過ごす。


11:25 搭乗開始。のんびり構えていたら、12.13列目の人から登場してくださいとのアナウンス。手元のチケットを確認すると、席は13Eとある。先に搭乗できるオプション(というのがある)など申し込みしてないのになあと、不思議に思いながら飛行機へ。席に着いてみるとそこは非常口の真横の席だった。ここは避難経路にあたるため、足元に荷物を置くことは出来ないらしく、上の荷物入れに荷物を預ける。しばらくするとCAさんがやってきて、ぼんやりとしている12.13列目の我々に向かい「2〜3分ほどお時間をください」と、厚紙を配布。そこにあったのは非常扉についての説明書きであった。
この席にあたったあなたたちには、非常時にこの非常口の操作をしてもらう必要がある。乗務員が「脱出脱出脱出」という掛け声をかけたら非常口の取り外しをし、外に脱出する脱出スライドというのを展開してください、という旨の説明を受けて、なんという席にあたってしまったのだろうと緊張感に震える。両隣の方がものすごく真剣にその厚紙の説明書きを読んでいたので、慌てて自分も真剣にそれを読み込んだ。非常な事態の起こらないことを願う。
14:40 定刻より少し遅れ、無事に那覇空港へ到着。レンタカー屋さんの送迎で店へ、手続きなどを済ませて 15:15 出発。
前回沖縄に来たのは三年ほど前の8月頭で、それはもうものすごい日射しに面食らったものだけど、今回は二月、なまぬるいものである。那覇市街は夕方になるととても渋滞するとのことだったため、早々に北に向かうことにする。大きな58号線を北上。浦添市をこえて宜野湾市にはいると、右手にフェンスがあらわれる。中をみやると、遠くに大きな車がいく台もとまり、その荷台を金髪の外国人男性が整理している様子が見えた。フェンスには英語と日本語で注意書のようなものが貼られている。ごう、という唸るような音とともに、目の前を驚くような低さで黒い飛行機が横切っていった。普天間基地を過ぎて、嘉手納基地がまたすぐに見えてくる。
『道の駅かでな』に到着。屋上にのぼると飛行場が見えた。三角形の黒い戦闘機が、空気をめりめりと掘り進むような音で空に向かっていく。基地から大きな道路をはさんですぐそこには民家が並んでいる。この基地の中には多くの軍の人たちや、その家族や、民間企業の従業員の人たち、などが生活をしているらしい。とても広い土地だった。


基地をなぞるようにしばらく東から南へ進むと、アメリカの地方都市に似たたたずまいの道に入る。コザという町で、今夜はここに泊まる。そこを通り抜けてしばらく走り、『やぎ料理店南山』へ。夕方の5時。朝のバナナと卵から何も食べていない。さっそく山羊定食というのを注文する。
岡崎の実家の、山の方に向かったところにはよく山羊が飼われていて、とても可愛らしいなーと親しみのある動物なのだけど、今からそれを食べるのだ。
沖縄では、祝い事があるときによく山羊を食べるらしい。しかし独特の獣臭のため、沖縄の人でも好き嫌いが非常に分かれるものだそうだ。ここ『南山』はそのなかでも初心者向けの、非常に上品な山羊汁がいただけるとのことで、今回あしを運んだわけです。
山羊定食には、山羊汁、山羊の刺身、山羊の血で炒めた野菜、ご飯がついてきた。さっそく山羊汁からいただく。
スープを一口すると、やわらかな土の香りがした。スープに入っているヨモギだろうか。肉の赤身部分を食べると、想像よりもあっさりとしている。なるほど?と思いながら、皮のついた肉を口に入れると、瞬間、山羊の脂のにおいが広がった。初めてのにおいに、頭が混乱しているのを感じる。ああ、鶏や豚や牛を自分はとても食べ慣れているのだなあ、という気持ちになった。


この肉を「食べ物である」という認識にすぐ至らない頭は、山羊の味を、自分自身に近しい何かの生物、といった具合に判別しているのか、なんなのか、食べているというより体に肉を取り入れている、というか、ふしぎな心地でした。そこにヨモギが加わることで、実家近くの畑の映像が容易にオーバーラップ。
山羊汁はこんな具合でしたが、山羊の刺身はとても淡白な味でした。皮がこりこりしていた。
色々な感覚に翻弄されながらも完食。外に出ると西日。車を走らせて近くのプラザハウスショッピングセンターへ。ここは日本初のショッピングセンターだそうで、かといって古びている訳ではなく今風の小洒落た、しかしめちゃんこ流行っているといった訳でもないショッピングセンターだった。なんせ、すぐ近くに馬鹿でかいイオンが出来てしまっているのだ。
そのイオンを横目に南下、道沿いのA&Wへ。ハンバーガーショップのチェーン店で、ここ屋宜原店が沖縄第一号店とのこと。ドライブスルーのできるお店なのだけど、せっかくなので店の中に入ってみる。店内のお客さんは、すべて外国の方だった。ここではルートビアとjrチーズバーガーみたいなのを注文。jrといいながらも立派に大きいバーガーだった。


陽も落ちてきたので宿に向かう。今夜泊まるのは『赤坂ホテル』。コザの交差点からほど近い住宅街のなかにある。部屋にはユニットバスがつき、靴でそのままベッドに直行するタイプの部屋だ。荷物をおろして、コザの商店街へ向かう。
基地のすぐ近くのこの商店街は、夜になると基地の人たちがやってくる場所である、という前情報を仕入れていたのだけど、見るとどうもシャッターが多くしまった商店街となっているらしく、人通りがまばらだ。その中でもにぎやかに営業していた『ミッキー食堂』という店にはいり、パパイアチャンプルーをいただく。四人がけのテーブルが五つほどとカウンターの食堂で、えらい元気なおばさまが注文取りから調理から会計まで一人でこなしている。洗い場にはふくよかなおばさまが一人いて、元気なおばさまいわく「〇〇さん(球団の人らしい)がこないだうちの店を紹介してくれたら(テレビかラジオか?)、人が大勢くるようになってさ、さばききれなくて、それで今週だけお願いして(ふくよかなおばさまに)手伝ってもらってるわけよ」とのこと。二月は野球のキャンプの時期らしく、このコザの商店街にはいたるところにカープの旗が飾られていた。


満腹になり、店を出る。二時間ほどで三食をたべたのだから、そりゃいけない。近くをぶらぶらと歩いてみる。
大きな通りに出ると、タコスの店や、タトゥーの店、クラブ、ダーツバーなどがならぶ。夜になっても空気があたたかい。
それから近くのスーパーに寄ってお茶や日焼けどめなどを買い、宿へもどる。明日はさらに北上し、名護へ向かう。